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日本図書館研究会研究例会(第355回)報告


日 時:2020年1月26日(日)14:00〜16:00
会 場:相愛大学本町キャンパス
テーマ:塩見昇氏へのインタビューをはじめて
    −その学校図書館理論を探る(中間報告)
発表者:高木 享子他(学校図書館研究グループ)
参加者:24人
1.趣旨説明
 塩見昇氏の学校図書館論の特徴について,@学校図書館と図書館の自由 A学校図書館史 B学校図書館職員論
C市民運動との関わりの4つの観点を定め,資料に当たりながら,論議した。その結果,塩見氏の学校図書館論
の形成には,学生時代・図書館員時代からの長年に亘る経験や学識の蓄積が,複合的に影響しているのではないか
という仮定の下,幼少期から大学教員時代まで,時系列的なインタビュー計画を立てた。
2.具体的な手法
 塩見昇氏の自宅で,毎回3時間半程度のインタビューを行った。具体的な手順は以下の通り。
 インタビューをタブレットで録音し,グーグル・ドキュメントで粗起こし。担当者が整えて塩見氏に送り,加筆・
修正。ドロップボックスにアップし,メンバーが加筆。担当者が再度整理・編集し,次のインタビューの事前会議で
確認し,確定原稿とする。
3.インタビュー調査の概要
 2018年12月末にインタビューを開始し,2019年11月末までに,8回のインタビューを重ねたが,ここ
では,第7回までを対象に,その概要を報告する。
 第1回 幼少期から大学入学前まで
 塩見昇氏は1937年2月11日,京都市で誕生。この年,日中戦争がはじまり,小学校中学年で縁故疎開を体験。
戦後,乾小学校6年生時に,図書室をつくる提案をするも,教師の反対で実現せず。
 小学生時代には,講談社の世界名作全集や絵本等をよく読み,中学生時代は純文学から大衆小説まで幅広く読んだ。
中京中学校には図書室があり,スチーブンソンの『宝島』を読んだことをよく覚えている。
 進学した府立朱雀高校に図書室はあったものの基本は閉架式で,「パチンコ方式」だった。授業は,『和泉式部日
記』を1年かけて読むなど,旧制から新制に変わった時代を反映したものだった。高校卒業後,1年間の大学浪人生
活を送った。
 第2回 大学入学から大阪市立図書館員時代
 京都大学教育学部に入学し,図書館学を専攻。米国から帰国したばかりの小倉親雄氏が図書館権利宣言や検閲問題
の講義をされ,大変興味を持った。小倉氏の研究室で,“Banned Books”(禁書)と出会い,大いに触発され,図書
館への興味の出発点となった。卒業論文は「アメリカ公教育史における学区図書館」で,ホレース・マンの学区図書
館をテーマにした。
 1960年大阪市立図書館に就職し整理課に配属。労働条件に問題が多く,組合が大事だと考えるようになり,そ
れが図書館問題研究会につながる。森崎震二氏ら図問研の上の世代の人たちと接点が多く,図書館の世界が広がった。
その後,奉仕課に転属し,当時のレファレンス・サービスの風潮に疑問を持ち,問題提起。
 第3回 大阪市立図書館・図問研のこと
 『中小レポート』が1963年3月に出版された。大阪市立図書館では7月から12月まで6回程度「『中小レポ
ート』を読むつどい」を開催し,読み込んだ。批判的にとらえる人と好意的にとらえる人と評価は二分され,論争的
で問題提起的な本だったといえる。
 市立図書館時代に取り組んだのは,煩雑な手続きを要する貸出システムの見直し,ひいては図書館事務事業の総点
検である。森耕一氏との出会いも大きい。森氏は,団体貸出をスタートさせ,『中小レポート』を天王寺図書館で実
現しようとしていた。当時,児童室担当だった松岡享子さんとの交流もあった。
 第4回 大阪教育大学へ
 1971年,大阪教育大学へ専任講師として転出。1970年代は学生運動の時代だが,大教大でも1971年
「S 君問題」が起こる。障害を理由に,S君を不合格にした大学に対して学生が抗議し,半年間,団体交渉が続い
た。最終的には,学生側がS君の合格を勝ち取る形で決着したが,図書館と学習権,障害者への図書館サービスとい
う大きなテーマを意識した経験だった。
 大教大で担当したのは,「学校図書館学 A」と「学校図書館学 B」の2科目8単位。8単位で学校図書館の専門
家は育てられないが,学校図書館が使える教師は養成できると考え,学生に理解を広げていった。図書館の自由を正
面から取り上げるのは,後になる。
 第5回 学校図書館とは何かを模索する中で
 石井敦氏の図書館史研究を学ぶ中で,戦前の教育の中でも図書館に対するニーズがあったのではないかと考えるに
至る。そんな中で,『学校図書館』の特集「学校図書館前史」(全国SLA,1962.2―3,p.136―7)に出
会い,暗闇の中に灯りを見つけたような思いがした。
 特集で一番面白かった戸塚廉氏宅を訪問し,お話を伺った。戸塚氏の教育実践を知る中で,野村芳兵衛や自由教育
の先進校成城小学校等々,どんどん新しい課題が生まれ,勉強することが面白かった。それをまとめたのが,『日本
学校図書館史』(全国SLA,1986)。全国SLAとの最初の接点は,1972年の兵庫大会だが,その後,『教育改
革への提言』(全国SLA,1985)作成に携わった。「四者合意」には関わっていない。
 第6回 図書館づくりと住民運動
 学校図書館が生きて機能するには,教師の仕事と結びつく必要がある。教師が図書館を活用し,図書館と教師が良
い関係をつくることが出発点になる。
 学校司書の存在を初めて意識したのは,1973年の大阪府高校学校図書館研究会との出会い。岡山市の学校司書
との出会いは,宇原郁世さんから手紙をもらった時からだが,1979年の第1回「学校図書館を考えるつどい」
翌々年の「学校図書館白書1」(岡山市職労,1981)の骨子討議へと繋がっていく。
 準備段階から関わった学校図書館問題研究会の結成は1985年。市民が学校図書館に関心を寄せ,学校図書館づ
くり運動が始まったのは,1990年代に限りなく近い1980年代後半と考えてよいのではないか。
 第7回 学校図書館職員問題
 学校図書館の職員問題については,常に考えてきたことだが,将来的には,単一の新たな教育専門職の複数配置が
最もすっきりする。ただ,歴史的な所産としての二職種を当面は前提に考えるのが妥当であろう。その場合,学校司
書は,図書館活動を日常的に担う職員,司書教諭は教育の中で学校図書館の働きを生かす教師と位置付けるべきであ
る。
4.今後の計画
 塩見昇氏の「教育観」「図書館観」に留意しつつ,インタビュー記録を再度読み解き,関連文献にもあたりながら
分析する。最終的に塩見氏の学校図書館論を生み出した背景と思想に迫りたいと考えている。
 冊子としてまとめたいが,詳細は今後の検討課題。
                                                                                    (文責:永井 悦重)